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執着は手放さなくていい~生きる実感は執着で満たされ、依存で失う~


こんばんは!

いくつか新しい占術の講座を受けてドキドキが止まらない、タロット占い師の一宮ゆりです。笑

ついついタロットとの共通点を探したり、実際の鑑定でどうタロットと絡めるかっていう思考になってしまう( ;∀;)

 

しかも、なんにも考えず受けたのに「16パターン」とか「16のシンボル」などが出てきて、タロットさんに「16」っていう数字に導かれる宿命だよってサロンを作った当初言われてたことを実感してゾワゾワしてました。

タロットの16は天啓を表す塔になるわけで。

うーん、もっと穏やかに導かれたい。笑

 

 

そして今回は、かなりデリケートなテーマに切り込むことになりそうです。

 

 

お客様から恋愛のご相談をいただくとき

「私、彼に執着してますよね。」

「これってもはや執着だと思うので手放した方がいいですか?」

と聞かれることがあります。

 

私はそんなとき「依存であれば手放しましょう」とお答えすることが多いです。

 

それはタイトルにもあるように、執着=悪だという風土自体に疑問を持っているからです。

 

豊かさを求めることもまた「生」への執着。

 

恋愛については特に悪魔のカードの解釈に習い、執着(魅了)→依存(堕落)だと思ってるので、そこのところを深掘りしてみようと思います。

 

 

今回取り上げる「執着」について注意点があります。

  • 私は執着を手放すことを否定していません(誰かを傷つけたり憎しみの感情からくる執着は依存なので手放すべきだと思っています)
  • 執着は自由を奪う側面があることも否定していません(行き過ぎた執着は自己成長を妨げる原因になるのでバランスが大事だと思っています)

以上を踏まえて読み進めていただければ幸いです。

それではいきましょう(*^^*)

 

そもそも執着は手放さなければいけないのか


「執着」は古典文学に登場するほど古くからあり、仏教用語の「執著(しゅうじゃく)」としても広く使われてきました。
いわゆる煩悩の一種で「raga(愛)」「lobha(貪)」によく似た意味があり、日本では執着から解放されることが重要視されています。
まずは執着を手放すことについてポジティブな要素を調べてみました。
  1. 精神的な解放:執着を手放すことで心が軽くなりストレスや不安が減少する

  2. 新たな機会の発見:過去の執着を手放すことで新しい経験や人々との出会いに対して心を開くことができる

  3. 成長と自己改善:古い習慣や考えにとらわれず新しいスキルや知識を習得する機会が増える

このように、執着を手放すことで自己を解放し魂の成長を促しましょう!という記事で日本のネットの中は溢れていました。

 

執着の意味をさらに調べると「ある物事に心を深く囚われて離れられないこと」とありました。

ここでシンプルな疑問が。

 

 

単純にですけど、そんなに深く囚われるくらい夢中になれることや人に出会っているって素敵だなと、私は思ってしまう少数派の人間です。

 

例えば愛。

あの人の瞳が、声が、頭から離れない。

もっと近づきたい、触れたい、同じ時を共有したい。

 

こんな気持ちも執着なわけで。

そこには「あの人との未来を諦めたくない」っていう「強い思い」が内包されています。

 

 

 

では次に、執着を手放すことについてネガティブな要素を調べてみました。
  1. 不安や喪失感:執着していた物事や人を手放すことで不安や喪失感を感じる

  2. アイデンティティの変化:長い間執着していたものを手放すことで自分のアイデンティティに対する疑問が生じる

  3. 孤独感:特に人間関係において執着を手放すと孤独感を感じる

これらは執着を手放すことで一時的にそうなるけど、成長のために必要なことですよとなるらしい。

 

ここにもシンプルな疑問が。

そもそもマイナスから始まる意思の書き換えって上手くいくのでしょうか。

 

執着が生まれるほど素晴らしい物や人に出会えたことを、まずは受け入れることが大切なんじゃないかな。

 

 

ただこの「執着」という言葉が「依存」に変わったら、私も手放すべきだと思います。

執着と依存は陰と陽のように表裏一体だけど、似て非なるもの。

 

次はこの2つの違いを見ていきます。

 

依存は執着を食い物にする貪欲な悪魔


依存とは「ある物事や人に対して過度な執着心をもったり頼りすぎる状態」を指します。

 

ストレスや不安を和らげる手段として始まることが多いですが、長期的には問題を悪化させてしまいます。

以下分類です。

 

物質依存

アルコール、タバコ、薬物などの物質に対する依存です。

これらは身体的および心理的な健康に深刻な影響を及ぼすことがあります。

 

行動依存

ギャンブル、SNS、ショッピング、ゲームなどの行動に対する依存です。

こちらも健康や日常生活に悪影響を与えることがあります。

 

人間関係の依存

恋人や家族、友人に過度に頼る状態です。

この場合、依存する側が他者に対して過剰に依存することで、関係が不健全になることがあります。

 

共依存

共依存は他者の問題や困難に過度に関わり、その人の問題を解決することを自分の役割と感じる状態を指します。

これにより、自分自身のニーズや感情を無視することが多くなります。

 

 

恋愛感情にまつわる依存は「人間関係の依存」と「共依存」のどちらにも当てはまります。

※セックス依存症は行動依存の一種

 

 

他者に対して思い通りの行動をとってほしいと強く望み始めたり、それ以外の外的要因によって過度なストレスや不安から現実逃避を始めたときが要注意。

 

 

執着しているときは興味関心が高い状態で、その人のためにキレイになろうとか、何をしたら喜んでくれるだろうとか、夢中になっているときなんじゃないかな。

 

でもどこかのタイミングで、相手から与えられる幸せに頼って自分で自分を幸せにする努力を怠り始める。

 

ただ皮肉なことに「自分の欲求を満たす」ことも「執着」に当てはまるのよね。

 

そこがネガティブに捉えられる要因なのかもしれませんが、私はそんな幸せになりたいと望む生きた執着を栄養にして、依存の芽は育っていくと思ってます。

 

 

だからあえて「執着を手放しましょう」ではなく

執着をコントロールしましょう

と言いたい。

 

お互いが自立している関係なら「あの人にご執心」っていうことはあっても「あの人なしでは生きていけない」とは絶対にならないですから。

 

状況が変われば適切な距離をとれるのが、愛する覚悟をもった執着です。

手放せないのであれば、それは自己の甘えからくる依存だと私は思うんです。

 

高エネルギー?海外の執着の捉え方は180度違う側面がある。


海外では「執着」の捉え方が文化や国によって、同じ概念でも異なる意味や価値を持っています。


アジア
特に仏教や道教が影響を与える地域では、執着は「苦しみの原因」とされ執着を手放すことが重要視されます。
仏教では「無執着」を目指すことで心の平安を得ると説いています。

周囲と足並みをそろえ野心など持ってはいけないという、殺生を禁じた仏教の教えにふさわしい価値観だなと思います。
そして仏教が布教した日本でも「執着は悪」という価値観が根付いたと言えます。


一方で、海外の捉え方は大きく違います。

ヨーロッパ
執着は努力や献身と捉えられることもあります。
芸術やスポーツなどでの目的達成への執着を持つことは評価されることが多いです。


アメリカ
過度な執着は個人の自由や成長を妨げるものと捉えられる傾向にあります。

しかし、個人的な目標や夢に対する執着は成功への鍵と見なされることが多く、そのためには努力と集中が必要とされています。
ネバーギブアップやハングリー精神は、目的達成への執着心が現状に満足せず貪欲に追及する姿勢につながる、と解釈されています。


ほんとそれっ!
って調べていてうっかり大きな声を出してしまった。笑

私も昔から執着心は強い方だったし、そのおかげで良いことも悪いことも含めスペシャルな経験を積んできたと自負しているので、どうしてもネガティブなイメージが浮かばなかったんです。

もはや自分の執着心がまだまだ足りないとさえ思うほど、ボロボロになるまで貪欲に幸せを求めていたあの頃。

私にとって執着は、時間をかけて錬成される譲れない信念みたいなもので。

その強い思いがなければ、生きることに意味を見出せなくなっていたかもしれません。


心理学では、このような願望成就に対する執着は「こだわり」として区別されていますが、恋愛やパートナーシップにこそ「こだわり」があって、自分の夢を後回しにしてでも想い人に愛される努力を選択する人もいます。

その境目が曖昧なのが問題なんだろうけど、全部いっしょくたにして「これは執着だ」「自分が苦しむだけだ」と手放してしまっていいのかなっていう素朴な疑問がずっとありました。

答えにたどり着くまで長くなりましたが、執着をポジティブに変換して、その思いをきっかけに成長しようとするのも素晴らしいことじゃないかって、私は言いたいんだっ。

 

 

恋愛もしかり。

そこまで愛せる人に出会えたのなら、それは神様が与えてくれたギフトですもの。

 

愛されるために自分を律することや、パートナーシップに必要な距離感を学ぶチャンスだと捉えてみたらどうだろう?

 

苦しい恋に執着するって、本当に失うばかりなのかな。

私はむしろ、得るもののほうが多かったと思っていて。

 

タロットとうんと仲良くなったし、そこにたくさんのご縁が生まれて、改めて人の温かみや友人や家族の大切さにも気づけた。

ついでにいくつか資格も取って、お化粧やお洋服で自分を飾ることも覚えた。

 

辛い恋をして失うことの怖さや深い悲しみに共感できるようになったし、だからこそ大切にされることが特別なことなのだと気づけた。


確かに依存的でお互いに成長できないと判断した物事とは決別したけれど。

 


私自身が自分の成長のために必要だと思ったことは、何も手放してなんていません。

欲張りだから。笑

 


執着の本来の意味は「人間関係や物事への強い思い入れを表すもの」であり、ネガティブな要素と同じくらい、またはそれ以上にポジティブな意味をはらんでいます。

 

もしも今、譲れない恋をしていて同じように手放すことに疑問を持っている方がいたら、こんな考え方もあるんだってカツ丼に付いてくるお新香くらいな感じで、頭の片隅に置いていただけたら嬉しいです。

 

最後までお読みいいただき、ありがとうございました。

今回は賛否両論ありそうな記事になってしまいました( ;∀;)

でも改めて自分の中のモヤモヤが晴れたので、書く価値はあったかな。

 

もっともっと貪欲に、欲しいものがあるなら諦めず自己主張してもいい。

諦めが肝心って言葉が昔から嫌いで。

一度しかない人生なんだもの、どんなに時間がかかっても想いを出し尽くして、どんな結果になっても頑張った自分を褒めてあげる。

そうやって自分に納得しながら、誇りながら、生きていきたいと思う。

珍しく熱い。笑

ではでは。

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