こんばんは!
幸せの象徴ってなんだろうって一週間考えた末、私にとっては大好きな人達とピクニックをすることだった、タロット占い師の一宮ゆりです。笑
バスケットに美味しい食べ物をぎゅうぎゅうに詰め込んで、公園や海岸で食べるのが私にとって最も幸せな時間です。
大切な人のためにお家でスコーンやポトフを作って準備する時間も幸せ。
バケットサンドやソーセージ、チーズや果物をつまみ食いしながらカゴに詰めてる時点ですでに満足だったりします。笑
と、いうことで今回は「幸せ」について私なりの視点で書いてみたいと思います。
YouTubeでクリスタルカードを引くと頻繁に顔を出す【クォンタムクアトロシリカ】
「幸せの循環」がキーワードのカードですが、あまりにも出てくるので一度どっぷり考えてみようかなって。
循環は大アルカナで言うと【節制】のカード。
私のタロット占いでは「因果応報」が当てはまります。
「幸せの循環」と「因果応報」の関連性についても、順を追ってお話しできればと思います。
それではいきましょう(*‘ω‘ *)
種をまいた時からどんな花が咲くかは決まっている。
まず、因果応報は仏教の教えです。
【因】は直接的要因=原因
【果】はその結果=報い
前世あるいは過去の善悪の行為が原因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされると言われています。
「偶然」「突然」「神による創造」などは否定しているのも特徴です。
要するに、すべての結果には必ず原因がある。
「必然」なんだということ。
仏教の世界では「運命」とは言わず「ご縁」や「縁起」って言葉を使うのも、全ての原因は自らの行いによるものだという考えからなんだよね。
そしてもう一つ。
因中有果(いんちゅううか)という、インドのバラモン教の教えに【原因の中にすでに結果が包含されている】という言葉があります。
私はこっちの言葉の方が好き。
こちらも仏教に影響していて「業・輪廻」を説いています。
前世や過去の行いが今世にも影響し、巡り巡って自分に返ってくるというもの。
良い行いをすれば様々な形で恩恵があり、悪い行いであれば様々な形で報いがある。
善意の種をまけば善意の花が咲き、悪意の種をまけば悪意の花が咲く。
とってもシンプルな道理ですよね。
他者を幸せにする行為は、善行となり自らを幸せにします。
他者を貶める行為は、悪行として自らを苦しめます。
そして今世でまいた花の種が咲くのは、来世かもしれないんです。
今世のうちに善い種をたくさんまいて幸せの花束が作れたら、またそれを愛する人にプレゼントする。
幸せの連鎖って、そうやって生まれていくんでしょうね。
因果応報を手短にお話ししましたが、ここからは現実的な日常に落とし込んで書いてみたいと思います(*^^*)
お相手の幸せを願うフリは見透かされますよ。
またまたイケメン画像を見つけてしまいました。笑
素敵(*ノωノ)
さてさて、ここでは恋愛に絡めてお伝えしていきます。
好きな人に好かれたくて、又は嫌われないように、いい子を演じている女性は多いです。
男性に求められる女性像に近づこうと、健気に頑張っているんですよね。
約束を破られても
「お仕事頑張ってね」
酷いことを言われても
「あなたも辛かったんだよね」
浮気されてても
「愛情が足りなくてごめんね」
これを本心から言えてる方は、一体どのくらいいるのだろう。
ここは善い行いの中で代表的な、利他の精神が当てはまるかな。
他者の利益を尊重する自己犠牲の心得。
誰かのために動くことが社会を潤すという考え方。
経営者向きのセミナーでも多用されていますし、利他の精神を自信満々にお話ししてくださる経営者の方は多いです。
ですが、私は昔からこの理念にすっごく矛盾を抱えてまして。
無償で行うボランティア活動なら納得できるのですが、経営に取り入れるとしたら報酬は受け取らない選択しかないはず。
むしろ最短で稼げる方法はこれだ!的なうんちくをおっしゃる方の方が、案外ボランティア活動や多額の寄付もしていたりします。
恋愛でもそう。
慈愛や慈悲の心をかき集めてボランティア精神でお相手を想う事ができているなら、自己犠牲もあっぱれですが。
絶対にありますよね。
下心。
こんなダメなところを受け入れてあげたんだから、私のことをもっと尊重してちょうだいね。
って顔に書いてある。
男性から見ると、その聞き分けの良い態度もプレッシャーになってしまうんだろうな。
良い循環が生まれているようで、そこに流れる水はひどく濁っている、みたいな。
私は良い意味でも悪い意味でも思ってもいないことは口にしないので、嫌な時は話し合うし馬鹿にされたら毅然とした態度を見せて距離をとります。
その間に縁が切れてしまうようであればそれまでだし、反省をしていただければ受け入れます。
お相手が失敗を繰り返したとしてもそれは個人の能力だから仕方ないけど、その時どうその問題と向き合ったのかを私は重要視しています。
利他の精神は素敵だけど、それを行うのであれば同時に自己を満たす作業も必要になるんじゃないかな。
自分に余裕がなければその姿勢は「おもてなし」ではなくただの「やせ我慢」だもんね。
それって隠し通せるものでは無くて。
見透かされたときは修復不可能に陥るから、実はかなりハイリスクなんです。
トラブルが起きたら、なるべく自分の言葉で腹を割って話す。
注意するのはタイミングだけ。
感情のままに伝えても信頼関係は築きづらいから、自分のコンディションも整えてから本心を伝えるようにします。
ここを乗り越えたカップルは逆境にも強くなるし、澄んだ水がお互いの間を流れるようになりますよ。
まずは自分に問いかけてみてください。
「本心」か、「我慢」か。
本心であれば、苦しみは感じないはず。
我慢であれば、関係を見直す必要があるのではないでしょうか。
因果応報は幸せの循環を生み出します。
「心から他者の幸せを願うとき
幸運の歯車が回りだす」
と私は思っています。
人は欲深い生き物なので、どんな聖人君子でもその欲と葛藤しながら成長を目指します。
因果応報は善悪全てに適応するから、今からでも身近な方達に目を向けて尽くす努力をしてみてほしいです。
お子様がいらっしゃる方はお子様に。
旦那様がいらっしゃる方は旦那様に。
職場の仲間や友人にも。
普段から周囲の方を大切にしているからこそ、好きな人にも自然体で思いやりの心を持てるんですよね。
お家で言葉づかいが乱暴な方が、お家の外でも無意識のうちにその言葉づかいになっちゃうのと同じ。
あ、まずいなって気づいた時にキレイな言葉づかいを意識しても遅くて。
善の行いには一貫性が必要で、それは一朝一夕で身につくものではありません。
他者の幸せを願う澄んだ想いは、何よりも強く人の心に響きます。
そしてその澄んだ想いは、形を変えてちゃんと返ってくる。
もし返ってきたら、またそれを周りの人とシェアして、上手に循環させていく。
このサイクルの中に入ると、何をしても上手くいくようになっちゃう。
けっして派手でも無いし、刺激もないんだけど。
それでも心の安定と、愛されている実感がある。
大切にされていることを、心から感謝できるんです。
私はいつも自分の周りに綺麗な水が滞ることなく流れるように意識しています。
ちょっとした淀みはその日のうちに浄化して、次の日に持ち越さないのも大切。
トラブルが起こっても、どう乗り越えるかを考えられるように。
いつも「自分」を保ちながら、小さなことから整えていくことが日課になっています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
私もまだまだ修行中(*‘ω‘ *)
良いことがあれば小躍りするし、悪いことがあればお酒がすすむ笑
因中有果の精神で全ては自分のまいた種なんだと、現実を受け止めるようにしてるけど。
気持ちがついていかないこともあるよね。
なんて、本末転倒なことを最後に言ってみたりする。笑
ではでは。