こんにちは!
大好きなアニメがネット配信されていて、さっそく飛びついたタロット占い師の一宮ゆりです。笑
「ボールルームへようこそ」という漫画なんだけど、登場人物が個性的で大好きなんです!
アニメ化されて迫力がさらに増している(*‘ω‘ *)
高校生たちが競い合う社交ダンスの物語なのですが、あの複雑で激しい動きを漫画で表現するのスゴイなって思っていて。
クラシックバレエをやっていた頃はバレエがテーマの漫画もよく読んだけど、この漫画に描かれるタンゴの瞳孔が開いちゃう感じがたまらなくて何度も読み返してました。
美男美女揃い。
興味のある方はぜひご覧になってみて下さい(*^^*)
さてさて、今回はちょっと真剣なお話しです。
※普段から真剣ですが。笑
スピリチュアル業界では【赦し】や【慈愛】について多くの情報が溢れていますよね。
占い師を生業にしている私ですが、一方でものすごく業界の矛盾を感じていたりもします。
過去の記事でも、その矛盾やスピリチュアルとの上手な付き合い方をお伝えしていますので、私がどんな占い師なのか個人鑑定をご検討中の方はご一読いただければと思います。
それではいきましょう(*‘ω‘ *)
心の家を建てて、負の感情のお部屋を作りましょう。
以前、憎しみや怒りの感情については、過去にアンガーマネジメントの記事を書かせていただきました。
その記事の文末でネガティブな感情のお部屋があるとお話ししたのですが、今回はそこを掘り下げてみたいと思います。
このブログを始めた頃にもちらっとご紹介した、私の大好きな映画。
「私の頭の中の消しゴム」
若年性アルツハイマー病になってしまった主人公と、そのパートナーの物語りです。
パートナーが実の母親に対して激しい怒りと絶望をあらわにするシーンで、主人公が語りかけたセリフ。
人を赦すことは、難しくないわ。
あなたは大事な心の家をそんなに憎んでいるお母さんに明け渡して、家の外でブルブル震えている。
赦しとは憎しみに心の一部屋を空ければいいだけなのよ。
まさにそうだな、と。
2004年公開時に観たから、もう17年前。
当時の私はこのシーンを何度も見返して、脳内に刻みつけたものです。笑
自分の心の家を明け渡すことは、人生をコントロールされてしまうこと。
負の感情に振り回されて自分を見失ってしまう原因は、ここにあるのかもしれない。
憎しみなどの強い感情は、忘れようとしても付きまとってくるものです。
それならいっそ受け入れて、共存していく道を模索する方が立ち直りも早くなるんじゃないかな。
心が狭いって、よく言うじゃないですか。
それってこの「心の部屋」が少なかったり一部屋が1Kくらいの規模なんじゃないかなって、20歳の頃この映画に出会ってから考えるようになりました。
それからというもの、心の中にでっかいお家を建てるのが私の課題だなって思っています。
一生をかけて増築を繰り返す、サグラダファミリア並みの長期戦です。笑
家を建てるのには木材や重機が必要ですが、心の家を建てるには善意と慈愛の精神が必要です。
では次に、善意と慈愛について書いてみたいと思います。
善意や慈愛の精神は育てなければ芽生えない。
まずは善意と慈愛についてWikipediaから抜粋させていただきます。
【善意】
他人や物事に対しての良い感情、または見方や好意のこと。
日常用語としての善意(ぜんい)とは、相手にとって喜ばしいであろうとすることを行う、思いやりのこと。
また、相手によい結果を導こうとして行なう意思を指す。対義語には「悪意」がある。
【慈愛】
仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)に深い友愛の心、慈(いつく)しみの心を持つこと。
また、それらに楽を与えたいという心を持つこと。
人の善意や慈愛は、とても脆くて不安定なものです。
ひとりひとりがお互いを尊重し合わなければ、成り立たないと思っています。
悪意ある感情って誰でも当たり前に持っているし、増幅力もウィルス並みにあるので厄介だなぁって感じます。
人を憎んだり蔑んだりするのって、私から見るとシンプルに寂しい人です。
それ以上でもそれ以下でもなく、寂しい人。
満たされない心、空っぽな心を、どんな感情でも良いから埋めていく。
とにかく何でもいいからお腹に溜まる物を食べなければ生きていけない、みたいな。
自信がなく、愛情に飢えて、求めることばかりに目線を落とす。
地面ばかり見て、落ちてるものを拾い上げ、気に入らなければ馬鹿にして、ポイって捨てる。
私はそんな心理状態の方に出会ったとき、何とも言えない無力感を覚えます。
自己顕示欲が増して、自らを特別な存在だと思い込んだり。
美しい思想を掲げながら、煩悩にまみれていたりする。
身近で心配する声があっても、きっとこの方は右から左なんだろうな。
そう思います。
だからかな、無力感。
神様のお陰だから
前世からの繋がりだから
魂の統合のために
その思想を本気で持ち出すのであれば、ワンネスを常に感じているはずだから我欲に苦しむはずが無い。
丁度よい理由を見つけて、自己を正当化してるのではないかと思うんです。
人間は不完全で、特別でも何でもない。
どんなに厳しい状況でも生きていくしかない。
だったら身近な人と支え合って、泥臭くても幸せに生きていきたいじゃないですか。
善意や慈愛の心は、自己を認めて愛している人なら誰でも大きく育てられると私は考えています。
それでも時間をかけて丁寧に丁寧に育てなければ、直ぐに病気になって枯れてしまう。
身近にある幸せに気づけなくなってしまう。
失敗してもまた種をまけばいいし、水をあげればいい。
そしてしっかり自分の中に根を張り、失敗を認め行いを悔い改めることで日々をより良いものにしていく。
私は我欲と葛藤しながら、身近な人を幸せにする努力をしている人が好きです。
自分の中で綺麗な心がちゃんと育った時に、一緒に綺麗だねって言ってくれる人達はきっとそんな人なんだろうなって思うんです。
そんな素敵な方達と同じステージで生きていきたいから、私も日々誠実に努力していきたいと思います(*^^*)
スピリチュアルは赦し過ぎるので要注意。
まずスピリチュアルって何でしょう?
人間は「肉体」と「精神」そして「魂」で成り立っていると考えられています。
スピリチュアルは、その「魂」の世界のこと。
目に見えない、定義があやふやな世界のことです。
偏ったスピリチュアルは承認欲求を煽ります。
もうオラオラです。
根底にある受容の精神が、善悪全てを赦すからです。
お薬でいえばモルヒネのようなもの。
実際にモルヒネを使わなければいけない病気って、けっこうな大病ですよね。
私が以前から口ぐせのように言っていることですが、スピリチュアルは気づきを得るための道具です。
それ以上でもそれ以下でもなく、地上に生きる人間が考えた「慰め」であり「教え」です。
私のタロット占いも、様々な視点から物事を解決するために深く考察するためのツールだと思っています。
上手に使えば必要な時に背中を押したり、生きやすくなるためのヒントを与えてくれる。
残念ですが大金をつぎ込んでも決して救われないし、やったらやった分だけ元を取ろうとするのが人間です。
執着心を育てることにもなりかねません。
自分で考える力さえ奪われかねない。
そして一番厄介なのが、いくらでも自分に都合良く解釈できる点。
運命の人
前世からのカルマ
神様のお導き
そう考えた方が何でも許されてラクではあると思うけど。
自分の選択に自信がない場合もあれば、失敗を認めたくなくてここに行き着く方もいらっしゃいます。
で、お金も時間も使った後、何年か経って気づくんだよね。
あの頃は病んでたなって。
赦されないことって世の中にはいっぱいあって。
世界の神々にまつわるどの文献を見ても、神様だって罰を与えたり怒り狂ったりしてますよね。
天変地異や疫病も神様のせいにしなければ、民衆を納得させる理由が見つからなかったのかもしれませんが。
それぞれに時代背景が必ずあり、根拠のない伝承もたくさんあります。
あ、ただ私は魂の世界、信じてますよ。
むしろ大好きです。
トーラーや聖書、神話や仏教の説法など、その「教え」に何度救われた事か。
だからこそ、スピリチュアルを安易に現実逃避に使うのはオススメしません。
本来は現実と向き合うために使うもの。
現実世界を家族や友人と寄り添いながら生きていくための、人類の「叡智」です。
適度に用いて生活に活かせなければ意味がありません。
そして、赦し合うことは善意や慈愛の精神が必要です。
自分本位の精神状態からは決して生まれません。
そこから生まれるのは悪意と煩悩。
闇が深くて怖い。
目を背けたくなるけど、私の職業上そうもいかない時があって。
そんな時は、また心の部屋をひとつ、その感情のために作ります。
そうやって私の心の家を意識的に大きくして、成長していきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
スピリチュアルの世界は面白いですが、信じた先にあるものもよく調べてみるといいですよ。
小さな声で埋もれてしまいがちだけど、頑張って警鐘を鳴らしているスピリチュアル卒業生の方達も実際にたくさんいらっしゃいますから。
私のタロット占いも、承認欲求を満たすためではなく気づきを得るために使っていただければ幸いです(*_ _)
ではでは。