こんばんは!
ついつい新しい趣味にチャレンジしたくなっている、タロット占い師の一宮ゆりです。笑
私の住む埼玉県は緊急事態宣言が発令され、またまた我慢の1か月です。
今回は1か月は目安でちょっと長引くんじゃないかな、なんて家族と話しています。
おうち時間が増えるなぁ、なんて思っていたら、息子はレゴニンジャゴーを買い足して、主人は新しいゲームを増やしているし、なんだか準備万端です。笑
そんな二人を横目に見ていると、ついつい私もうずうずしてしまう。
二人のお陰で楽天のポイントが貯まったので、インド刺繍キットをポチしてしまいました( ;∀;)
一度キットでやり方さえわかれば、あとは応用で好みのポーチやクッションカバーも作れるから便利です。
今はYouTubeやネット記事にも情報が溢れていて、著作権云々に敏感だったハンドメイド業界もこれから変わってくるのかな。
さてさて、いつも通り脱線しましたが、今回は「執着心」のお話しです。笑
なにかと執着心は悪いことと言われていますよね。
今週アップしたYouTubeの動画内でも執着について触れたので、この記事を書こうと思います。
では、早速いきましょう(*‘ω‘ *)
問題なのは「執着心」の裏にある「依存心」
最初にお話しさせていただくと、私は「執着心」自体は悪いことだとは思いません。
物欲、支配欲、自己顕示欲、これらは執着心には付き物ですが、この「欲」があるからこそ、人は試行錯誤して発展してきたのだと思うんです。
より美しくなりたい。
より便利に生活したい。
より強いポジションを掴み夢を叶えたい。
私は「生きること」も一種の欲だと思うんです。
生に執着が無くなれば生きる気力を失い、自ら命を絶ってしまう人もいる。
見方を変えれば、執着心も時にはプラスに働きます。
問題なのは、執着心の後ろにピッタリとくっついてる「依存心」
恋愛依存、占い依存、薬物依存、ネット依存などなど。
これらは現状維持や快楽の継続を求めるもので、発展性がほぼ無い。
次から次へと欲求を作り出し満足感が得られません。
そもそも依存心が強い状態では、快楽は一瞬のことでもっともっととより強い快楽を求めるようになります。
馬ニンジンのように目先の欲望しか目に入らず、心や体が蝕まれてもやめられない。
よく「執着を手放しましょう」と言われていますが、この「依存心」を克服しない限り手放すのも困難なんじゃないかな。
依存は心が毒されてしまうから、意識的に普段の生活から切り離してほしいです。
アルコール依存のイメージ。
見ない聞かない関わらない。
私自身も、お客様が私に依存しているなって感じたら、そこはお伝えして次からの鑑定をお断りすることもあります。
滅多に無いんだけど、24年間の中で2度ありました。
執着と依存は紙一重で、その判断は難しい。
ただ、執着は趣味趣向や新しい発想を生み出しますが、依存は自分を見失い負の連鎖を生み出します。
それは今の現状がどうかで判断してみると良いのではないでしょうか。
依存はどこまでも苦しく、他人に大切なものを明け渡してしまうような不安定なものだから。
見返りを求める努力は、全て自己満足。
先ほどもお話しした執着心や依存心って、核となる部分は「願望成就」が大前提なんだと思うんです。
こうなりたい、という願望を叶えるために動いている。
こうしたら願いが叶うと言われて占いにお金をつぎ込む、っていうのはいい例ですよね。
高級品を手に入れたいから沢山働いて身を削る。
どうしても欲しいものがあるから何かを犠牲にする。
これらは結果的に、自分の理想に近づきたいがため。
思い通りに物事を進めたい。
対象が物やお金なら自分の努力次第で現実化できるけど、人の心は思い通りにはなりません。
手に入らないものほど、人は欲しくなるもの。
この手に入らない感は、恋愛に置き換えるととても分かりやすいんです。
人は簡単に手に入る人に恋をすることは稀で、自分に無いものを持っていたり、完全に理解できないものに惹かれる傾向があります。
よく女性のお客様がおっしゃるのは、
「どうでもいい人には好かれるのに、好きになった人には振り向いてもらえない。」
これです(*‘ω‘ *)
それって、結局どうでもいい人にとって、この女性が手に入らない人だから惹かれているんだよね。
正にイタチごっこです。
だからといって無理にこちらを向かせようとしても、それは押し付けになってしまう。
意中の方が本当に望んでいることは何なのか。
それは自分とは全く別のものかもしれない。
自分が正しいと思っていることが、必ずしもお相手にとって正義とは限らない。
時には悪にさえ見えて、嫌悪の対象になっているかもしれません。
その見極めは、お相手の反応を見れば一目瞭然のはず。
そこに目隠しをしてしまうと、真のパートナーシップは築きづらいんだと思います。
以前、自己犠牲の末に見出した恋は「妄想」かもしれない、という記事を書かせていただきました。
お相手の本質を理解し、尊重する姿勢は尊く美しいもの。
その誠実で清らかな愛情は、お相手の心に真っ直ぐ働きかけます。
それは決して、歪んだ依存心や自己満足の強要ではありません。
自然体のそのまんまのお相手を、愛して寄り添っていけるのか。
見返りが全くない関係だったとしても、尽くす価値があるのか。
動き出す前に、しっかり見極めてほしい。
その上で自分の選択が間違いであったなら、認める勇気も必要です。
過去を振り返り、感謝をもって手放す。
人の上に立つ人、与えられたことに従順な人
称賛を浴びたい人、陰から支える人
お金持ちの人、経済的に厳しい人
欲しい物を全て手に入れた人、全てを失った人
年齢、性別、生活水準。
これらは一切関係なく、人は何かしらに執着しています。
そして、これまでたくさんの方に接してきて思うのは、どんな状況に立たされていても幸せだと感じる人もいれば、不幸だと感じる人もいるということ。
それぞれの幸福度はその人にしかわからない。
私はペンタクルのクイーンなので、物欲や所有欲が強くこだわりもたくさんあります。
安定した生活がしたい。
好きなものに囲まれていたい。
それが幸せの理想のカタチです。
どれだけ愛を囁かれても、目に見える形で誠意を実感できなければ心は動きません。
しかし、一番身近な主人はカップのキングさんなので、価値観が全く違います。
自由に楽しみながら生活したい。
いつでも身軽に気の赴くまま生きていたい。
それが彼の理想の人生です。
型にはまった固定観念は大嫌い。
「最後は人」が口癖で「愛さえあれば」と考えます。
どれだけ人の羨む生活を手に入れても、精神的に満たされなければ直ぐに手放して振り返らない。
こだわらず、常に視野を広く持とうとします。
これもある意味、自由への執着。
依存心には嫌悪し、どこまでもフェアな関係を求めるので、私とは幼い頃からぶつかってばかりでした(*^^*)
それでもここまで一緒にいられたのは、感謝の気持ちをお互いが忘れないでいられたから。
誰に何を言われても、私は主人に感謝しかありません。
私の自立心を応援し、強すぎる自我を認めてくれた初めての人だから。
私の強いこだわりに、最後まで笑顔で付き合ってくれた男性は主人だけでした。
ある意味こだわりの無い人だったから、お付き合いも結婚も成り立ったのかもしれないって思うんです。
そう思えるようになったのもほんの数年前ですが(*ノωノ)
紆余曲折あって、今が一番いい距離感で一緒にいられます。
ありがとうの気持ちはそのままに、がっちりと握りしめていた手を放しました。
そしたら、手放すことって終わりじゃなくて、私たちにとっては信頼関係を築く最初のステップだったんだなって実感できることがたくさんあって。
強い依存からくる執着を手放すって、とても怖いことですよね。
それでも、お相手の価値観や生き方を認め、尊重することがパートナーシップを築く上で最も重要です。
お相手の本質を直視したうえで、それでもまだ愛せるかどうか。
それはお互いに、手放した時にわかることかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
年明けから、電話鑑定でも執着心がキーワードになるスプレッドが連発していたので、一度私自身も思考の整理をしたくなって書きました。
これ私のことかな?って思ってる方も結構いらっしゃるかも( ;∀;)
否定しているわけでは無く、私も散々経験して痛い目を見たからお話しできることがあるかもしれないって思っています。
どうか誤解しないでくださいね(*_ _)
ではでは。